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映画紹介:「世界一と言われた映画館」~初日舞台あいさつから
Categories: 文化・アート

1月5日から有楽町スバル座で上映中の映画「世界一と言われた映画館」の初日舞台あいさつの登壇者の言葉を、映画紹介として掲載します。【取材=宮沢さかえ】

 

左から岡田芳郎さん・佐藤広一監督・佐藤良広さん

 

Q(MC):映画がどのような経緯で作られたのか教えてください

佐藤広一監督:この作品は2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の1コーナーで映画祭が製作するという、ちょっと珍しい企画で進められました。最初は約20分くらいの短編で進めていたのですが、、とてもそんなボリュームでは収まりきらないと結構早い段階で気がつきまして、断わって長編にさせていただいたといういきさつがあります。

Q:山形で映画サークルの活動をしていますが、ずばり映画の魅力はなんですか?

佐藤良広さん:グリーンハウスでは、最終世代になります。焼ける前の最後の数年をグリーンハウスと過ごしました。私は映画サークル=あるふぁ´85をやりながら、農業も少しやっています。お米やご飯は食べなければ死んでしまいますけれども、映画は観なくても死ぬことはないですよね。ただ、映画がそばにあると、毎日の生活がより豊かになる・より幸せになるということで、サークル名を「あるふぁ」にしています。映画は、そういうものだと思ってやっています。

Q:この映画を作る話を聞いた時の、率直な感想・思いを聞かせてください

岡田芳郎さん:私の本=『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田市につくった男はなぜ忘れ去られたのか』が出る時にも、子どもたち・出版社から注文=「映像的に目に見えるように書け」という話がありまして、非常に描写的な運びで書いたつもりです。

そういうこともあってか、出た後に読者から「ぜひ映画化してほしい」という意見がかなりありました。出版社とも、「もしこれを映画化するとしたら、誰が主人公が良いかな」という話をした時にたしか出版社の人は「佐藤浩市が良いんじゃないか」言っていたのですが、私は福山雅治が良いんじゃないかという話をしたことを思い出しました。

2013年に、山形放送が創立60周年記念にラジオで私の話をドキュメンタリードラマにしたんですね。その時の佐藤久一の役は大杉漣なんです。大杉連はこの話に縁があります。この映画はドキュメンタリーで非常に懐かしく事を思い出しますし、中味を詳細に記録し、関わり合いがある人たちが出てきて非常に7貴重な内容だと思います。

希望としては、せっかくだから佐藤浩市さんで劇映画として佐藤久一さんの生涯を描いてほしいなと思います。

Q:今回、なぜ大杉漣さんにナレーターをお願いしようと思ったのですか?

Ⓒ認定NPO法人山形ドキュメンタリー映画祭

佐藤監督:たぶんラジオ番組がきっかけで、大杉さんは結構酒田に縁があって来ていたんですね。あとは、知り合いの大杉さんと懇意にしていたパーソナリティにお願いしました。実は、僕は昔大杉さんが主演の短編映画にスタッフとして参加していて、そこで面識がありました。その時、すごく良い人・人間味がある人だな、普通の俳優とはッ違うものを感じました。

いつかご一緒に仕事ができたらいいなと思っていましたが、「このタイミングかな」と思って連絡を取ったところ即答でオーケーをいただいて、2017年の9月末に東京で録音しました。

映画にもちょっと出ていますが、グリーンハウスの姉妹館に港座があるんですが、そこで大杉さんがライヴをしたいとかねがね言っていたものですから、そこで「世界一と言われた映画館」上映と大杉漣バンドのイベントを企画しました。2017年でしたが、たまたまですが10月27日は酒田大火の日で「怖いようだな」という話を大杉さんとしたのを、昨日のことのように憶えています。

Q:酒田の人にとってグリーンハウスはどういったものだったのでしょうか

Ⓒ認定NPO法人山形ドキュメンタリー映画祭

佐藤さん:グリーンハウスがあったのは1947年から大火までの間までなので27年間ですが、大火からも42年経っていますので、時間の尺があります。やはり、大火に対する酒田市民の傷・心の痛みをまだまだ引っ張っている部分があると思います。

若い世代はないと思いますけれど。そういう中でもグリーンハウスが青春でしたし、私よりも少し上の世代が1番そうだったと思います。そういうわけで、複雑な気持ちの中でも、自分の人生・足下を見ると、青春時代の記憶にグリーンハウスがあったことを踏まえながら生活をしていると思います。

Q:佐藤久一さんは、ずばり言ってどんな人だったのでしょうか

岡田さん:佐藤久一というのは、ものすごい美男子であって美意識に詠嘆であるとでも言いましょうか。しかし、大変な変質狂というのか、思い込んだらとことんやり遂げるマニュアックな人でした。地元の金持ちの家の息子ですから、金に対してはあまり頭にないと言いますか。

だから、好きなこともたまには採算を度外視してやる人です。ですから、佐藤久一の功罪をいろいろな人が言いますが、酒田大火は久一がグリーンハウスをやめて13年も経って起こっています。グリーンハウスとは縁がない人間になって。フランス料理店の支配人をやっていたわけです。そういう意味で、酒田大火と結びついて語られるわけですが、あまりにも酒田の人びとに素晴らしい映画館であるグリーンハウスと佐藤久一の存在が結び付いて、1つのものとして認識せざるを得ない。

(酒田大火)とは関係がないということは、ほとんどの人がわかっていたとは思うんだけれども、心の中で許せないみたいなことがある。私の本のタイトルの「なぜ忘れ去られたのか」というところに行くわけです。

う久一の存在は、酒田大火とともに酒田市民に忘れ去られたふりをせざるを得なかったんじゃないかという感じがします。それが、亡くなって何十年かする内に、グリーンハウスのこともだんだん、なつかしさとともに語るようになりましたし、久一のことも思い出してなつかしむようになったことが、現在だと思います。

久一について言うと、酒田の市民とは非常にどこかデリケートな、しかし愛情に満ちた関係が今も続いているという感じがします。

*酒田大火:1976年10月29日に発生した。グリーンハウスが火元で、当時の観客は避難して無事だったが、大風に煽られて火が広まり、22万5000平方メートルが焼けた。

 

 

 

■ 映画「世界一と言われた映画館」公式ウェブサイト
1月5日より有楽町スバル座他全国順次公開