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監督インタビュー:「たゆたえども沈まず」遠藤隆さん
Categories: 文化・アート


テレビ岩手が10年間撮り続けた映像を紡いだ映画「たゆたえども沈まず」が、公開されました。オンラインで試写を観て、遠藤隆監督に文書でインタビューをしました。【宮沢さかえ】

奇跡の一本松 Ⓒ2021テレビ岩手



Q1:おそらく膨大な量の映像が遺されているのだと思いますが、映画制作にあたってどのようなポイントで選ばれたのですか?


遠藤隆監督 2019年撮影=宮沢さかえ

遠藤隆監督:テレビ局が映画をなぜ作るかというところから出発しました。震災当時、私は報道部長を務めていましたが、1カ月・2カ月するうちに「津波の映像はもう流さないでほしい」というクレームが増えてきました。津波で大切な人を亡くした身内にとって、津波はもう見たくないという思いは当然のことです。

テレビは不特定多数の視聴者を対象にしていますから、視聴者は心ならずも津波映像を見せられてしまう。社内で話し合って、津波映像の使用は抑制していきました。しかし、そうすることで津波の実像は伝わりにくくなっている。その点映画を見て下さる方は、劇場に足を運び、決まった時間にお金まで出して見て下さる主体性の強いお客さんです。この人たちに実像を知ってほしい。まず津波災害の恐ろしさを見て頂く。しかも、我われは地震発生直前、平穏な被災地の最後の光景を撮影していました。この美しい景色がわずか数時間後には無残な状況に変わってしまう。そんな災害の無残さを示したかったのです。そうしたことから減災につなげる映画にしたいと思い、映像も減災の視点から選択が始まりました。

宝来館の女将・岩崎昭子さん Ⓒ2021テレビ岩手


そしてタイトル(たゆたえども沈まず)にもしていますが、この過酷な状況を生き抜いた人たちのことを伝えたい。継続的に取材している人を中心に映像を選んでいきました。宝来館の女将・岩崎昭子さんと、自転車店を営む双子の両親=内金崎さんはその代表です。

また過酷な状況を生き抜いた三陸鉄道=三鉄。私たちは三鉄を擬人化して見ていました。さらにビデオレターの人間群像。そして被災地の定点観測。こうした骨組みを作って素材選びと探し。さらに新規取材の項目を立てました。



チャリカフェの内金﨑さん一家 Ⓒ2021テレビ岩手


Q2.〇年という節目の考え方は、ひょっとしたら当事者にはない感覚なのかもしれないと感じています。丸10年の直近まで取材をなさって、その感覚はいかがでしょうか。

遠藤監督:10年の節目というのは確かに伝える方の都合に過ぎません。今回の映画で取材に応じて下さった方たちは、1日1日を生き抜いてきた積み重ねで10年があるのだと思います。佐々木正幸さんは、映画の中で「過ぎてしまえば5年なんてあっという間だ。でも待つ2年というのは長い」と時間感覚を語っています。こういう言葉や被災地の人たちの営みを、どうやって伝えるか。例え伝える側の都合でも、10年というのは1つの大きなチャンスです。

どこまで取材したって、私たちは当事者にはなれない。映画の中で取材者が当事者となっている唯一の例が、当社釜石支局の柳田カメラマンです。彼が旅館の女将岩崎昭子さんと再会した時、津波にのまれた女将が「生きる、生きると思ったの」と明るく語るのに対して柳田は「うち(の母)はダメだった」とつぶやきます。岩崎さんは柳田のお母さんが亡くなったことを察します。

最後の方で「柳田君いくつになった?」と語りかけます。取材者が取材される方に代わっている。2人は同士なのだと感じました。こうした関係性を、私たちは築けない。しかし「10年という節目の年」という言葉をどうとらえるかは別にして、10年の節目で全てを引き上げてしまったらそれっきりです。この映画では岩崎さんの言葉を借りて「10年は次の10年への始まり」というメッセージを発しているつもりです。

三陸鉄道を迎える人たち Ⓒ2021テレビ岩手


Q3:特に観てほしい・伝えたい点がありましたらお聞かせください

遠藤監督:震災発生当時、応援に来てくれた大阪に拠点を置く読売テレビのデスクから、阪神淡路大震災の経験を教えていただきました。神戸を中心にした大震災の時、読売テレビでは死傷者の情報より、生きている方の安否情報を重要視したそうです。誰がどこで生きているか。私たちはその情報の手始めとして、震災後3日めからまず、避難所の名簿をアナウンサーが読み上げることをしました。延えんと繰り返す個人情報。

そのうちに現場の記者が、避難している人にマイクを渡すようになりました。携帯電話も固定電話も通じない被災地では、テレビは安否情報を伝える貴重な手段となりました。マイクを握ってくださった方は950人に上りました。そのうち、陸前高田に住む佐々木正幸さんはビデオレターをきっかけにこれまで10年間継続して取材をしてきましたが、そのほかの方はそれっきりになっていました。

避難所インタビューで実家の人たちに「お互い頑張りましょう」と語る小松紀久代さん Ⓒ2021テレビ岩手

今回映画化するにあたって、取材にあたった三浦裕紀記者は、「震災直後にマイクを握ってくれた人の10年後を取材したい」と言って、10年前のビデオレターの画像を自分のスマホに録画して被災地を訪ね歩きました。10年前にテレビに映った方を捜し歩いてもそう簡単に人探しはうまくいきませんでした。

三浦が田中進カメラマンと被災地を歩き回っていた11月11日のことです。ビデオレターでご主人を亡くしたことを涙ながらに語っていた小松紀久代さんという大船渡の女性を探し当てました。小松さんは災害公営住宅に住んでいますが、近隣に住んでいた人たちはみんなばらばらの公営住宅に入居して、近所づきあいもないようでした。11月11日は偶然小松さんとご主人の誕生日でした。そんな偶然の出会いを小松さんは喜んでくださってハッピーバースデーの歌を歌い、ご主人の遺影に向かって投げキスをしたのです。その映像を撮った2人は、取り急ぎ盛岡に帰り、私にその映像を見せてくれました。

夫が亡くなって10年近くなるのに変わらない愛情。私たち盛岡で編集をしていたスタッフもその映像に見入って、こみあげてくるものを感じました。


帰らぬらぬ夫に書き続けた手紙 Ⓒ2021テレビ岩手

三浦と田中は再び被災地に戻り、結局10人の近況を撮影することができました。中には、ビデオレターに映っていたお母さんを亡くし、息子さんがお母さんへの想いを語ってくれたケースもありました。

また10年前は赤ちゃんだった女の子が、小学生に成長し立派にバレエを踊る姿を見せてくれたり、スポーツ少年団の強打者だった小学生は、今年大学を出て社会人になります。

大津波で大切な人を亡くしたり、住む家を失った10年前の被災者は、それでもある人は愛情を抱き続けて、またある人はユーモアを交えて、またある人は新たな夢に向かって生きる姿を見せてくださいました。

第2次世界大戦でドイツ軍によるユダヤ人虐殺が横行した時に、ユダヤ人の医師で心理学者でもあったヴィクトール・フランクルという人は、収容所の中で自ら明日をも知れぬ生活の中で人間観察を続けました。極限状況の中でも、ごく少数とは言え、わずかに与えられたパンを同僚に分け与える人がいる。またある人は苦しい生活の中でもユーモアを忘れませんでした。過酷な経験を生き抜いたフランクルは、戦後『夜と霧』という著書を表しました。

私は大学時代から今に至るまで、この本を繰り返し読んで感動しましたが、そんなことが本当にあるのか半信半疑のところもありました。しかし、今回ビデオレターの人たちの映像を見ると、確かに苦しみの中を生き抜いた人の強さというものを実感することができました。疲れ切った表情だった被災者たちは、10年経って年を取っているのに、むしろ若わかしく見えました。この10年を生き抜いた。たゆたえども沈まなかった人たちがいました。

今、コロナ禍で苦しんでいる方が大勢いらっしゃいます。そうした方たちに、この映画では震災後の過酷な状況を生き抜いた方たちからのエールが送られていることを感じていただけたらと思います。

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■ 公式ウェブサイト
監督:遠藤隆/2021年/103分
2021年3月5日より岩手県内で公開、ほか順次全国公開