
旧騎西高校自治会・幾田慎一会長 撮影:宮沢さかえ
3.11東日本巨大地震・福島第一原子力発電所事故から2年以上が経過した4月末と5月初めに、福島の人の声を聴きました。
幾田慎一さんは、福島県双葉町から埼玉県加須市騎西に避難して2年以上になりました。現在生活しているのは、旧高校校舎。「生活する環境ではありません。そこに2年以上いるんです。はじめ1400人いた住民は126人になりました。学校の階段は急だし、床は冷たい。いつ出ることになるかわからないから家具も買えません」という生活の状況です。
旧騎西高校自治会会長をしている幾田さんですが、「あくまでも個人の考えです」と断って、原発に対する考えや補償問題についても語りました。「先が見えない。もらえるべき賠償の目途が立たない。福島県は、戻ってきてほしいようだが子どもの仕事の関係で東京に行くのに便利なところに住みたい。今のところはそう長くいられないようだ。住宅問題については、埼玉県にも要望している」(日本ユーラシア協会浦和支部主催講演:ふるさとを離れて より)

映画「わすれない ふくしま」画面撮影
(c)2012 Office Four Production.Ltd.
ドキュメンタリー映画「わすれない ふくしま」(監督:四ノ宮浩・オフィスフォープロダクション)では、原発事故地周辺で生活し続けている人のようすを知ることができます。

自殺者がたい肥小屋に書いていた遺書。映画「わすれないふくしま」画面撮影
(c)2012 Office Four Production.Ltd.
行く先を悲観して自殺した農家のこともまた記憶から消えている人が多いかもしれません。四ノ宮監督は、今まであまり表に出ていない原発事故被害地の状況や生活する人たちをそのまま描いています。

映画「わすれない ふくしま」画面撮影
(c)2012 Office Four Production.Ltd.
「生きているモノを見殺しにするわけにはいかない」と原発から14キロ地点で今も酪農を続けている人もいます。別の牛小屋の石灰をまかれた屍は、餌入れに顔をうずめるようにしていました。この姿を見てもまだ原発を続ける必要があると言うならば、それは何故ですか?
幾田さんが、「双葉町に居れば、ぜいたくではないけれど普通に生活していられたんです」と言った言葉が全てを表現しているでしょう。避難するのもそこにとどまるのも酷なことなのかもしれません。
中東各国に原発を輸出すると言うこのクニは一体、どんな国なんでしょう。原発事故をうやむやにしないために、追求し続けなければなりません。【宮沢さかえ】