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「放射線を浴びたX年後2」監督ひとりがたり(2日目17時からの回終了後)の要約です。アメリカによる酢爆実験の被害について追い始めた経緯や、映画で呼びかけたいことを語った。

映画「放射線X年後2」の紹介。第五福竜丸・久保山愛吉さんだけが被害を受けたわけではない。当時、多くの船が創業していて水揚げされた魚を多くの人が食べていた。そして、日本全土にも影響があった。解決金でなかったことにされている事件を掘り起こし警鐘を鳴らす。

書籍『放射線を浴びたX年後』は、同題の映画を書籍化。出版記念トーク(鈴木嘉一×伊東英朗)の抜粋で本の紹介とさせていただく。

原爆の図・水俣の図などに囲まれた会場で上映された、「~放射線を浴びた~X年後」。上映後トークでは、同映画の伊東英朗監督と大学2年生の長島 楓さんが語りました。

渋谷・UPLINKで行われた、「放射線を浴びた~X年後」上映後のトーク。同映画の伊東英朗さんと、最近では原発・被ばく問題などを撮り続ける鎌仲ひとみさんが語り合った。

伊東英朗監督・日笠昭彦NNNプロデューサーと

取材する伊東英朗監督にすごい剣幕で話していたおばあさんの言葉が、映画を見終わった後も頭から離れなかった。「当時はああするしかなかったんだ」。映画鑑賞後、私は伊東監督に当時を生きてきたやりきれない気持ちが露わになったその言葉を使った理由を聞いた。

大林宣彦監督

映画「~放射線を浴びた~X年後」公開記念イベントで、同映画の伊東英朗監督と映画作家の大林宣彦さんのトークがあった。大林さんは、虚構と現実、文化・芸術とジャーナリズムについても語られたが、私(筆者)も心したい言葉だった。

第五福竜丸展示館トークイベント

1954年マーシャル諸島海域でアメリカによって行われた水爆実験で被ばくした第五福竜丸は割合に知られているが、実は多数の日本の船が被災していた。人にも影響が出ていたことは当時すでに報道されていたが、解明には至っていない。映画「X年後」の伊東監督と第五福竜丸展示館・安田和也主任学芸員のトークがあった。

アメリカが行った水爆実験で被ばくしたマグロ釣り漁船員や放射線が広範囲に降り注いだことを追い続ける伊東英朗監督が、新作をアメリカで上映するプロジェクトを立ち上げた。

ビキニ事件当時、船に乗っていた人を訪ねる聞き取り調査3回目は、前回会った人が知っていると言っていた元漁労長。参考になりそうな本を用意し、自宅に案内してくれて話を聞くことができた。途中からは、キノコ雲を見たという人に話を聞いた。

「ビキニ事件を解明することは、フクシマのX年後を知ることにつながる」という映画「~放射線を浴びた~X年後」・伊東英朗監督の呼びかけに応えて始まった調査の第2回目が行われた。当時第二幸成丸航海士だった有藤照雄さんを訪ねた。またその後の聞き取り調査では、重要な情報が得られた。