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著者インタビュー:『とりあえず日本語で』荒川洋平さん(前編)
Categories: 文化・アート

 とりあえずチャレンジ!? 外国人に日本語で話しかけてみよう

荒川洋平さんプロフィール
1961年生まれ
立教大学仏文科卒業。ニューヨーク大学教育学大学院修了。デューク大学助手、国際交流基金日本語国際センター専任講師を経て、現在、東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』〔正・続〕(スリーエーネットワーク)ほか。

――率直な質問ですが、先生がこの本で一番伝えたかったことはなんですか?

荒川:題名の通り、「日本語で話しましょう」ということですね。あとは、何回か出てくるんですけれども、外国人が日本語を学んでいるのではなくて、学んでくれている。これはありがたいことで、感謝すべきなのに、差別であるとか逃げるとか、そういう態度で接するのは、まっとうじゃないんじゃないかなということですね。

――相手は一生懸命勉強して、できれば日本の人たちとたくさん日本語でしゃべって上手になりたいと思っているのに、こちらは一生懸命英語でしゃべろうとして、相手が思っていることがしゃべれないのは、失礼なことなんでしょうか。

荒川:そうですね。逆に自分がされたらすぐにわかりますから。ドイツ語を勉強して、ドイツに行って一生懸命ドイツ語を話しているのに英語で返ってくるとか日本語で返ってくるとすごく悲しくなりますよね。まさにそれをやろうとしているんじゃないかなということです。

本当に日本人の日本語の使い方って「ら抜き」とか漢字の制限とか敬語ということには異常に厳しいんですけれども、日本人だけで話している世界なんですよね。外に出て、対外日本語コミュニケーションの観点からは、そういうものよりももっと大きな波がこれからくるんじゃないかと思います。

――先生はこの本の前には、『もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』という、日本語を教える立場の視点からの本を書かれています。今回の本は、日常的に外国人と関わる一般の人の立場からです。なぜ一般の人の視点で書こうと思われたのでしょうか。

荒川:やはり、物を書いたり教えたりしていると、自分たちがやっていることの限界や、反対に役立つところが見えてきます。限界というのは、例えば僕らが日本語を教えて日本語ができる外国人がたくさん増えて、彼らが日本の社会に入っていってどういう扱いをされるか、気持ちよく過ごすことができるか。これらの保証はできないわけです。それが1つの限界です。では、それをどうしたら良いのかというと、僕らが接している外国人との接し方を少し変えれば、彼らが暮らしやすくなるかな…ということです。

僕らは、たとえばお客さんが来る前の日からお掃除をするように、人とのやり取りで、時に過度な親切心を持ちがちです。ましてや外国の方が来るとなるとその構えはすごく高く、強くなってしまうと思います。その過度な親切は、日本で道に迷っている外国人がいると英語で話しかけるなど、外国語を話すという方法に表われます。しかし、自分の国で困っている人に、自分の国の言葉で話しかけないのは日本ぐらいだと思います。

日本人の過度な親切が悪いわけではありません。親切は親切なのですから、ちょっと工夫して「自分の言葉で、自分のできる範囲の親切でやってあげましょう」というのが書き手としてのスタンスです。

――本のタイトルから語学の本というイメージをもちましたが、どちらかというとコミュニケーション法の本と感じました。過度に構えたり境界線を作るのでなく、どうしたら外国人とより良いコミュニケーションがとれるのでしょうか。

荒川:外国人に日本語で話しかけるというのは、ちょっと勇気がいることですよね。1回やってしまえば難しいことではなくなるのですが。その当たり前のことをやってみる。お金もかからないし、必要なのはちょっとの勇気だけです。

もし、そこで相手が日本語をしゃべれず、ずっと日本語で話しかけられる状況にあれば、その人は日本語を勉強しようという気になると思います。それは、彼らの学習の促しにもなりますし、日本人とのコミュニケーションの向上にもつながります。助けてあげるということでは、知らん顔するより英語で話しかけたほうがいい場合もあるかもしれません。でも日本語を使えば、相手がどこの国の人でも、言葉を選ばずにすみます。

面白いのは、英語で話しかけようとはするけれど、中国語や韓国語で話しかけようとは考えが行かないことですね。ちょっと批判になってしまいますが、おそらく過度な英語崇拝、つまり英語のほうが上級な言葉と思っているところがあるからでしょうね。

――英語は国際語と思いますが。

荒川:たとえば、今、ヨーロッパで色々な国の人が共同で学校を作ろうとすると、そこの共通言語は英語になります。英語はたしかに世界の共通語です。教育でもビジネスでも、英語がグローバルな言語であるというのは間違いないのですが、その英語というのは、いわゆる英米の英語ではないのです。共通語としての英語だから内容が伴えば良いのであって、英米の英語の発音が何より良いという、日本で行われがちな英会話教育の意味ではありません。

ちょっと別の話になりますが、子どもの早期英語教育は教える側も習わせている子どもの親も、アメリカ英語のような発音ができることを期待している人が大半ではないでしょうか。しかし、国際語としての英語からすれば、それは意味がありません。

英語を学習することは戦後すぐから始めているので、もう60年ぐらいになります。この間に中学・高校、全国津々浦々、英語ネイティブスピーカーを配置して、月に1~2回は授業で外国人と相対できるようになったことは、まあまあ評価できることです。でもその一方でこの政策は、外国人を見たら英語でしゃべりかけよう、というメンタルな傾向を助長しているのではないか、と思います。

実際にはお隣の中国・韓国の人も来るわけですし、他にも英語ができない外国人は多くいます。

――私たちの生活の場には、中国・韓国の方たちが多くいます。そこでお互いがよくわからないカタコトの英語で話すより、こちら側がわかりやすい日本語を話して、相手側にもカタコトの日本語でいいから話してもらったほうが、より良いコミュニケーションがとれるということですか?

荒川:そうですね。それが一番真っ当な気がします。

――以前勤めていた会社に英語で電話をかけてきた人がいまして、私が日本語で話し始めても最後まで英語で通しました。私としては、「やっぱり英語ができないとダメか」とちょっとショックでした。このような場合も、日本語で通した方がよかったのでしょうか?

荒川:難しいところですね。たとえば、ある大手の自動車会社では社内では英語を使うことになっているそうです。英語を使うことになっていたら英語を使えばいいでしょうし、そのような取り決めはこれから多くなっていくのかもしれません。ご質問のケースでは、会社で、「この会社では何語を使う」ということを決めておかなかったということが、問題のありかではないかと思います。そんなことは今まで、ほとんどの日本の企業はさほど考えなかったと思うんですが、これからは考えなくてはいけないと問題です。企業としての言語のポリシーを定め、言語の選択に対して敏感になる必要が出てくると思います。

あと、今のお話とちょっと違うことで思ったのですけれども、日本人は日本語で育っているから日本語が母語ですね。だけれども、僕たちは、持って生まれた日本語というものを上手に磨いてきたかというと、あんまりしていないかなという気はします。

フランスにおける学校のフランス語の授業とか、アメリカの学校での英語の授業は、文学を講読したり、読書感想文を書いたりはしません。むしろ、プレゼンテーションの仕方、報告書の書き方、つまりことばを分かりやすく伝えるためはどうするかという、ことばのトレーニング、母語の磨き上げということをやっています。でも、日本の国語教育はそれはしていない。一方、英語の方は会話一辺倒になってしまっている。肝心の日本語を相手に対して分かりやすくするとか、論理立てて話すとか、段落というのはどういう意図で成立しているとか、そういうトレーニングを国語でやらないのは大きな問題です。

ただ、国語の先生というのは、近代文学をやった人とか古典をやった人が教壇に立ちますから。日本語という言葉を道具と捉えて、それを磨くというのが今の教育のカリキュラムの中に全然ないのは当然ですね。

 日本人は日本語を習ってはいない!?

――そうすると、この本は、外国の言葉で話してきたり、外国から日本に来ている人にどう接したら良いかという側面もありながら、実は日本人に対して、日本人が日本語をどう考えるか、使うかということでもあると理解して良いですか?

荒川:そこまでのことは書いていないんですが、自分がそう思っていることは確かです。日本人の中にももちろん、日本語が上手な人・下手な人がいます。でもその基準はというと、漢検みたいに難しい漢字をいくつ知っているかというものが幅を利かせている。もっと良い日本語の鍛え方・トレーニングの仕方、そしてそ必要の達成を平易に示す基準が必要だと思います。

――留学生にきれいな日本語を話す人が多いのですが、その人が長い期間日本語を勉強しているかというとそうではなくて、日本に来る前に少し習ってきたとか日本に来てまだ数カ月だと聞いてビックリします。そこで考えたのは、私たちは日本人で日本に住んでいて日本語をあたり前のように吸収していますけれども、きちっと習ってはいないなと思ったんです。

文字の読み方やこの文章をどう読むか、文学の解説などは習っていますけれども、日本語を話す、コミュニケーションを取るというようなこととしては習っていないので、むしろきちんと習ったよその国の人の方がきれいな言葉をしゃべるし、日本語も上手ということなんだろうなと思いました。

荒川:それは十分にあると思います。

中編につづく«

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