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著者インタビュー:『とりあえず日本語で』荒川洋平さん(中編)
Categories: 文化・アート

 欧米崇拝から多文化理解へ

荒川洋平さんプロフィール
1961年生まれ
立教大学仏文科卒業。ニューヨーク大学教育学大学院修了。デューク大学助手、国際交流基金日本語国際センター専任講師を経て、現在、東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』〔正・続〕(スリーエーネットワーク)ほか。

――先日弊紙で『とりあえず日本語で』の書評を書いた高田浩史記者(岐阜県で小・中学生を中心とした作文教室を主宰)から、ぜひ荒川先生にお聞きしたいと質問が来ています。お考えということになるかと思いますがお聞かせください。

高田:私は、日々子どもたちと接する中で、子どもたちが外国人(中国・韓国・ブラジル人)への差別感を強く持っていることを肌で感じています。昨年も、息子のクラスのブラジル人の子が、傘をバラバラに壊される事件がありました。こういった子どもたちの意識で、外国人と日本人がうまくやっていけるはずもなく、外国人が増え続けている状況を考えると、かなり不安です。

欧米崇拝、アジア蔑視という子どもたちの意識を、多文化理解の方向へ変えるには、どういうことをすれば良いのでしょうか。

荒川:簡単に解決できる問題ではないと思うんですけれど、高田さんの質問で感じたこと、これはヨーロッパでもあるんですが、その国に元々いる人は、不景気で職を奪われたり職がなかったりすると、外国人の排斥に動きます。その構図が地方都市で起きているのかなと感じました。非常に痛ましいことではあるんですけれども。逆に例えば横浜であるとか神戸であるとか、昔から中国の人が住んでいる所だと中国人への差別は目立っていないですね。つまり、世界中どこでも同じですが、外国人の排斥というのは、地域差や経済格差を反映しているんです。

2つ思ったのは、1つはもし学校の教師がこういうことを思っているとしたら、これは国際教育の観点から、徹底的に研修をしなければいけないですね。ただ、小学校の先生はいわゆる人権教育、同和問題とか差別に対しての教育の研修をかなり受けているはずなので、その枠を国際社会にまで拡大するっていうことは可能だと思います。でも、これが出来にくいというのは、やっぱり心の境界線、日本人は日本人の中で解決する、あなたは外の人、という見方です。日本人への人権教育の考え方を外国の子どもの人権に拡大できるか、そのためには何が必要か、ということですね。

もう1つ、ブラジルの子どもたちについてはさておき、中国についてはいずれこんなことは言っていられなくなります。こういう問題がまずなくなるのは、観光地です。観光地とか商業地は、これからお金持ちの中国の人・台湾の人たちと上手にやっていかないと成り立たなくなるので、差別的な考えを真っ先に捨てたところが商機を得ます。

ただ、この時に陥りがちなのは、じゃあ中国語やポルトガル語で看板を書きましょうとなるんですが、それは、なしにするんです。易しい日本語でわかってもらうにはとか、日本人の丁寧さとか細やかさを上手に伝えるには何が良いか、と考えていくことが大事かな、と思います。

高田:私の教室に通う子どもたちは、低学年が中心ですが、多くの子が英会話教室へ通っています。私自身は、日本語もまだ十分に使えない時点で英語を学習するよりも、まずはしっかり日本語を身に付けるべきだと考えています。4年も5年も英会話教室へ通っていても、なかなか英語が身に付かず、悩む子も少なくありません。そのため私は、今まで、6年生から英語を教えていたのですが、今年から5年生で英語学習が必修化されたこともあり、それに対応せざるをえない状況です。私は国語をメインに教える教室をしていますが、そういった現状に接する度にいつも悩みます。

他の国の子どもたちも小さいうちから英語を学習していることを考えると、小学生にも効果的な学習法はあるのだと思います。小学生の英語への取り組み方・接し方について良い方法があれば、教えていただけたらと思います。

また、「英語はすごい言葉」、「中国語は変な言葉」などと子どもたちはよく言いますが、英語重視の姿勢がそこにも現われています。そんな偏見を持たずに、小学生のうちから、英語を身につけていく方法はあるのでしょうか。

荒川:英会話のブームというのが始まって、60年くらい経ちます。日本人の英語の運用力を挙げることが仮に英語教育学の課題だとしたら、60年経ってもまだこの状態であるということは、はっきり言って、現状では全然ダメなんです。この60年間で、例えば生物学とか電子工学ではどのくらい進歩があったかを考えると英語教育学は残念ながら貧しい進歩でしかなかった、と言って良いと思います。でも学術的な責任を英語教育学が取りなさい、ということではありません。学校の英語教育で一番大切な施策がなされなかったからで、それは「ニーズを持って」「毎日やる」ということです。

この大学(外大)にも300人くらい留学生がいるんですけれども、早期日本語教育をやった外国人は1人もいないです。ということは、早期にその言葉(日本人なら英語)をやったから先に身につくかというと、その保証はありません。高校からでも大学からでも間に合うんです。じゃあ、なにが必要かというと、本当にそれを勉強したいニーズがあって、毎日々々やるかどうかですね。

文部科学省が本当に学校の教育で子どもに英語ができるようにすることを目指すなら、どうするかというと、多分1日50分×2ぐらいの英語を毎日(月曜から金曜まで)やることでしょうね。そうしたら飛躍的に伸びますが、そうすると数学は減る、理科は減る、音楽はやらないみたいな形になって猛反対がありますよね。それがある限りはできない。でも、今みたいに週3回とびとびだったら、絶対にできない。

言葉を変えて言うと、ここ(外大)に来て上手に日本語をしゃべっている留学生も、もし自国で週3回・1回45分から50分だけの勉強だったら、やっぱりいくらやっても身につかないはずです。結局、方法とニーズがなければダメで、そこをいじらないでいくらやってもしょうがないということですよね。現に、文法を訳読でやってきても、僕なんかの年代でも非常に上手な英語を話す人はいます。彼らは、元々は受験英語で勉強してきたんです。文法の知識とか単語を詰め込んで、その後、たとえば企業で海外派遣されるとか、MBA=経営学修士を取ろうとか、何かの機会に毎日英語を耳で聞いて話す訓練、つまり頭の中の知識を顕在化させることをやってきたんじゃないかと思います。それは、現状の英語教育の枠で実際の運用力を上げる理想の形だと思います。

 今の英語教育でも十分?

――実は単語は本当に良く知っているんですよね。ですから、私は決して今の英語教育も無駄ではないと思っているんですが、それをもっと上手く使えばいいのじゃないか、今より高度にしなくても、教育段階だけで使える英語になるんじゃないかと思うんですがいかがでしょうか。

荒川:本当にその通りです。さっき言った、アメリカ英語崇拝みたいなところを1回とっぱらって、マレーシアとかシンガポールとか、あるいは中国・韓国の中学・高校生と英語でメールのやりとりをしてみたら良いんです。それで十分通じるし、多少いい加減なところはあるかもしれないけれども、それで英語を書いて通じる、読んで通じる方がむしろネットの時代では大事になるのかなと思います。

日本は経済が発達した国なので、世界中の観光地は大体どこでも日本語のガイドとか付いていますから、観光で困ることはさほどないはずです。で、外国人が来たら日本語で話せばいいんですから。本当に日本国民がみなアメリカ英語みたいにペラペラ話せることが必要なのかというと、多分いらないと思います。それは何か、ブランド物がほしいっていうような感覚でアメリカ人のような発音英語をしゃべりたい、子どもにしゃべらせたいというニーズに踊らされた結果です。

――日本人が言葉(英語)を使おうとしない理由に、完璧な言葉でしゃべろうとか、文法上間違わないようにしゃべろうとして、言葉はわかっていても声に出なかったりすることがあると思います。でも私は、ブロークンで、単語の羅列でもわかるかなとか、とにかく一番大事なことをしゃべってしまうと通じてしまうところがあるんです。そこに踏み出すのがすごく大事かなと先生のお話を聞いてふと思いました。

荒川:語学力と、外国に行ってもやっていけるとか外国人たちとうまくやれる能力ってどうやら別ものじゃないかという気がします。で、ある程度言葉も必要になってくるんですけれども、大切なのはものおじしないとか、誰とでも仲良くなれるとかそういう気持ちの方が大事なのかなと思います。

僕は、オーストラリアのシドニーに2年間住んでいたことがあるんですけれども、近所で上手にコミュニティに入っている人の中には、英語が上手とはいえない日本人もいたんですけれどもね。そういう場合、人とすぐ友だちになれるとか、家が散らかっていてもどうぞお入りください、という気持ちが持てるとか、わからなかったら何十回でも聞いたり聞き返すとかっていうようなやりとりを面白がれるかどうかということが大切ですね。

――荒川先生は、早期教育は無駄だとは言っておられないのですか。それともあまり早くない方が良いというお考えでしょうか。

荒川:どちらでも良いんですが、結局英語を勉強することの目的というのを、保護者でも教員でもいいんですけれども、それが何かということを子どもに示さないといけないですね。それが、大学入試のためなのかとか。仮に上手になったとしても、さっき申し上げたような施策を取って1日2時間、毎日々々やるにしても、それはなぜ・なんのためだということがはっきりしていないと、子どもはイヤだと思います。

早期に英語を勉強することは、僕が思うに、例えば「これは本」、「これは名刺」ということが別の音、別の世界で言われることがあるんだということ・その違い、違う言葉を使う人・違う服を着る人・違う肌の色の人がいる、その価値が同じだということを示すという意味においては大きいと思います。

高田さんがなさっていることは、おそらくさっき言った「日本語という言葉を磨こうよ」ということだと思うんですね。で、それはすごく良いことだと思います。美的に磨いて詩を読むとかそういうことではなくて、プレーンな日本語をプレーンに使うというそれだけのことができにくくなっているので、そういう指導をなさってくれたらすごく良いし、それは自分が目指すものとすごく近いと思います。【のたっふ=編集部】

後編につづく«

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