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監督インタビュー:「日本の悲劇」小林政広さん~救われたら良い
Categories: 文化・アート

 

8月31日に公開される映画「日本の悲劇」の小林政広監督インタビューです。

小林政広監督 1954年東京生まれ フォークシンガー・シナリオライターを経て映画監督に。初監督作品「CLOSING TIME」が受賞したのをはじめとして数多くの賞を受けている。日本映画初のカンヌ映画祭に3年連続出品している 2013年6月4日撮影=宮沢さかえ

小林政広監督
1954年東京生まれ
フォークシンガー・シナリオライターを経て映画監督に。初監督作品「CLOSING TIME」が受賞したのをはじめとして数多くの賞を受けている。日本映画初のカンヌ映画祭に3年連続出品している
2013年6月4日撮影=宮沢さかえ

 

――監督ご自身のことから伺います。以前はフォークシンガーでいらして、それからシナリオライターを経て映画監督になられたようですが、転向するきっかけになったことはあったのですか?

小林政広監督:もともと、映画監督になりたかったんです。中学2年の時に、フランソワ・トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」を偶然名画座で観て、「どうしてこの人(この映画を作った人)は、ボクのことをこんなに良く知ってるんだろう!」と主人公の一挙一動が、自分の姿を鏡で見ているような錯覚に陥りました。以来、映画って凄いな! と思ったんです。でも、どうやったら(映画監督に)成れるのか判らなくて。

そうこうしているうちに、受験勉強に入って深夜ラジオで高田渡の唄を聴いて、映画監督になるのは大変だけど、詩を書いて歌にすれば、自分を表現できると思いました。それで、直ぐに高田さんが所属している事務所に電話して、「高田渡さんに会いたいんですけど、連絡先教えてください」って言ったら、「自宅の電話番号を教えるから、電話してみな」って(笑)。それでギター持って会いに行ったんです。そしたら、「今度コンサートやるから、楽屋に訪ねて来なさい」って言われました。次の週だったかにお茶の水の日仏会館に行ったんですが、ボクの歌を聴きもしないのに、「ボクが紹介するから、何曲か唄いなさい」って言うんです(笑)。

それで、何百人てお客さんの前で唄ったのが始まりで、高校を出てから高田さんと一緒に旅に出たりして、歌の世界に入ったんですが22歳ぐらいの時に、やはり映画をやりたい! 映画監督になりたい!と思って、自主制作でレコードを1枚作って歌をやめたんです。トリュフォーの助監督になろうと思い、郵便局で働きながらフランス語を勉強して、27歳の時にフランスに行きました。

でもパリに着いたらノイローゼみたいになって、1年ぐらいで帰国しました。それからは、シナリオを書いてコンクールに応募したりして。城戸賞と言うシナリオの賞を獲りました。でも監督にはなれず、30歳代はテレビドラマのシナリオを書いていました。

それでも一向に夢は実現しない。そこで、有り金はたいて42歳の時に、自主映画を作った。それが「ゆうばり映画祭」でグランプリを獲りました。賞まで獲ったんだから、次も作らなくちゃと、回収したお金でまた映画を作って―といった具合で、現在に至ってます。12歳の時に抱いた夢を、30年後に実現させたんです。

 

――歌・シナリオ・映画の表現方法としての違いはどんなところだと感じておられますか?

小林監督:あまり変わらないと言うか。ボクにとっての歌は、映像のない映画です。シナリオも一緒で、映像を浮かべながら書いてました。

 

(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

(c) 2012 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

 

――「日本の悲劇」は、遺書を書くような気持ちで書かれたとのことですが、どういった意味合いでしょうか?

小林監督:何度も、ボクは医者から余命宣告を受けてて、2010年の夏だったと思いますが、腎不全の診断を受けたんです。近い将来人工透析が必要になると。それで、透析のことを調べたら、透析を始めてからの命は、大体10年と出て来た。かなり絶望的な気持ちになって、ふさぎ込んでしまいました。そんな時に書いたシナリオなんです。最初は、誰にも読ませる気持ちはなかった。映画にしようなんて、考えもしなったんです。これは遺書なんだからって、自分に言いきかせて書いたんです。書くことで救われたいと思ったんです。

 

――小林監督の作品は、ご自身のパーソナルな部分が反映されているように感じます。毎回、登場人物に自分を投影して描いているのですか?

小林監督:あまり自分は、投影させません。身近な人を観察したり、「日本の悲劇」の場合は、仲代達矢さんを念頭に書いたので、仲代さんのことを調べたり、観察したり。でも、ボクが書くわけですから、ボクの世界観であると言うことからは、逃れられないですけどね。

 

――「日本の悲劇」には地震のシーンがあり、前作「ギリギリの女たち」は気仙沼で撮影されていますが、3.11を経て、監督が表現をする上で変化したことはありますか?

小林監督:死と言うものがすごく、身近になったと言うか、生きてるんじゃなくて、生かされてるんだと思うようになりました。切実に。生半可な映画を作ってたら、亡くなった人たちに申し訳ない、観た人の心に残る映画を作ろう と何か、使命感のようなものが生まれました。

 

――これから「日本の悲劇」をご覧いただく方にメッセージをお願いします。

小林監督:沢山の人が観て、楽しめる映画ではないと思います。ただ、ボクが若いときに「大人は判ってくれない」を観て感じたように、映画の中に自分と似た人がいると思うような映画体験をしてくれたらいいなと思います。ボクがあの映画を観て救われたように、何人かの人が「日本の悲劇」を観て、救われた思いになってくれたらいいなと思うんです。

孤独や絶望の淵にいるのは、自分だけじゃないんだ。そう思う事だけでも、大きな救いになると思いますから。

 

インタビューを終えて:一語一語を噛みしめるように発せられる小林監督の言葉は、「日本の悲劇」のように淡淡と、しかしじっくりと語られます。公開前なので詳しく説明はできませんが、この映画の色使いに対する監督の考え方や、決め方もまたじっくり考えてのようでありました。

映画は、日本社会に潜む矛盾やひずみ・抱えるもの などなどを声高に語り表現するのではなく、静かにかつ間接的に描く、小林政広ワールドにぐいぐいと引き込まれ、最後には無口になってしまうのでした。

【聞き手・写真=宮沢さかえ】

 

■ 「日本の悲劇」公式ウェブサイト

8月31日よりユーロスペース、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

監督:小林政広/主演:仲代達矢/2012年/日本/101分

製作:モンキータウンプロダクション/配給:株式会社 太秦