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監督インタビュー:「生きる街」榊英雄さん~街が生きるためのエールを込めた
Categories: 文化・アート

 

--東日本大震災から5年くらいの街を描く、またそれをテーマに選んだのはなぜだったのでしょうか?

榊英雄さん=1970年、長崎県生まれ。俳優・映画

榊英雄監督:この企画のメインは、脚本・企画・プロデュースの秋山命という、僕の映画的同士・仲間です。「捨てがたき人々」(2014年)という僕が以前撮った映画は、ジョージ秋山さんの漫画が原作ですが、命さんはジョージさんの息子でもあるんです。ひょんなことから出会って、映画化した仲間でした。

(映画に登場する)ダンプの会社は名古屋にあるんですが、震災と同時に社長自らダンプで駆けつけてボランティア支援をした過去があり、その縁から地元じゃないんだけれど、しっかり信頼を勝ち得て事業所まで立ち上げた会社なんです。

その会社がたぶん、「5年経って風化するのも嫌だし自分の原点・事業所の原点も含めて見直す時に作品的な記録的なものを作りたい」と事業所の代表が友人に話したところ、その友人が秋山と知り合いだったんでしょうね。それで、「ちょっと相談に乗ってくれる?」と言ったところから映画を作るということになり、そこである程度アウトライン・プットライン(あらすじ・物語の流れ)ができてから僕に(話が)来たんです。

それで、「そうなんだ。映画なんだ」と思いました。ただ、震災の画(え)と聞いた時に最初僕は「う~ん」と言ったんですよ。なぜなら僕は東京でしか経験していないし、何もできていない。募金か何かで、ただ「ガンバれ」と言う。それくらいだけだから後ろめたい感じで、「そんなオレが映画を撮れるわけがない。5年経ってどうのこうのとか、原発がどうのこうのって(映画は)いっぱいあるし、僕もそういう映画も撮っているからもはや良いんじゃないか。

そしたら、「とにかく一緒に行こう、一緒に行ってみてまた改めて考えてみてくれよ」と言われて、彼が映画のために2回目に行った時に一緒に行きました。やっぱりテレビで見る・ニュース番組で観る・ネットで見るようなことと、違うじゃないですか。その時に改めて、「こんなに大変なことだったんだ」ということをわかりつつ、たくさんの人が亡くなり、いろんな悲しみと傷跡が残っているものを見て帰って来ました。

で、改めて「どう?再考、英雄ちゃん」「イヤ、ようできん。やっぱりそれは改めてどうこうというよりも、オレはそういう立場じゃないしヤダ」「でも、何かできないかな」と言った時に、「震災があって物語があるなら、オレはやらない。でも、ふっと思うとパレスチナでも中国や日本でもどこ行っても家族が居て母親がいて子どもがいて、いろんな無事を祈る人間ドラマがある・家族があるのだとすれば、それを前提にしたドラマ・映画だったらオレはやるよ」と言いました。

僕の発想としては、家族の人間ドラマを撮る映画だから、場所が福岡でも長崎の五島列島・福江島(監督の故郷)でも構わない。でも、なぜ今回こうなのかは、秋山の想いだから受ける。スポンサーの事業だから受ける。それ以外は、全く普通の人間ドラマを撮るんだったらやりたい。というのが、この原点なんです。

どんなところでも、人間は激しく踏んばって生きて、特に母親・女性は大地で息子とか娘の健康と幸せを祈っている。それは、どこの国でもどこにもあるということを信じる映画だったらやる、と言ってこうなったんです。

 

主人公・佐藤千恵子=夏木マリさん
©2018年「生きる街」製作委員会

 

ーーそうすると、話の基になった方はいらしたけれども女性(主人公)のモデルはいなかったのですか?

榊監督:いや、いろんなたくさんの女性の話の複合体です。脚本家も僕も聞いた方がたの想いでできたのが、千恵子です。ただ、民泊をして家族を待っているというのは、秋山がベースなんです。だから、愛と想いと悲しみが残っている男性・ラーメン屋の主人=女性は家を流されて廃業か立ち退かなければいけないけどラーメン屋やっている人がモデル。かたやキャバクラのオネエちゃんで、被災はしたけど山の方で「大丈夫だった?」とあっけらかんと言いながらもすごく傷を負っている人。

それを、リサーチしてキャラクターづくりをするためには、ちゃんと聞きました。石巻の撮影場所は「こんなことだったんだ」と見ると、目を背けているわけじゃなかったんですけれど、改めて否応なしに「作品を撮るためにはちゃんと見てね」と神様が示唆してくれたんじゃなかろうかと思いましたね。

宮沢:私も震災直後から被害がひどかった沿岸部にも行っていたのですが、漁師町のおかみさん=女性は強いなあということが印象にあったんです。映画を拝見して、その辺りは特に描きたい点だったのでは?と感じましたがいかがでしょうか。

榊監督:やっぱり、女性は偉大ですよね。母親は偉大ですし、僕は島育ちだったからダンナ(父親)は偉そうにしているけれども、ころがしながらしっかり膝の上・膝枕で寝かせるのが女性だというのが多かった。それで、まず夏木(マリ)さんという肉体と精神をお借りした時に、なよっとした女性よりは、バシッと踏んばってこの大地でさみしろうが悲しかろうが生きている女性をベースにしようというようにしました。

それでお会いしたら、もちろんすっぴんでやる・皺を増やすような芝居の準備をして、本当に誠心誠意千恵子をどう演じるか、早めに現場に入っていろんな人と話し自分をリサーチし方言も勉強して臨んでくれたんですね。

 

©2018年「生きる街」製作委員会

 

宮沢:夏木さんの演技はとても自然で、もしかしたら夏木さんそのままだったのかもしれないなという印象を受けました。他の方もそうですが、とても自然でまるで本当にいる人のようでした。

榊監督:それはやはりリサーチをして、脚本を頑張って、(どの仕事も偉いんですけれども)俳優って偉大な仕事だと思うんですね。俳優って仕事もなかなか素敵だなと思ったのが、映画だったんです。肉体と精神を、フィルターを通して演じる・出すという仕事。僕も俳優なんですけれど、やっぱり素敵だなと思うし、見えないシャーマン(超自然的なものと接触・交信ができる人・役職)でもあるんですよね。何か見えないものを電波で受け取っているのがシャーマン・俳優なので。

監督業を始めて、その中で虚構・嘘の中に真理があるということを考えれば、やっぱり物語かもしれないし、何千人という取材をした人の蓄積がこうなったということは、それはフィクションですけれどもノンフィクションの部分もある。ワタリガニのシーンは、ノンフィクションですし。やっぱりウソの中で真理が見つけられたといううれしさはあり、ますよね。

 

真ん中が韓国人カン・ドヒョン=イ・ジョンヒョンさん
©2018年「生きる街」製作委員会

 

――登場人物でもう1人印象に残ったのが、韓国人がとても大事な役目をしていることです。モデルがいたのか、何か意図するところがあったのでしょうか?

榊監督:メッセンジャーですね。秋山ジョージさんが、栃木県出身で在日コリアンなんです。それはそれでありながら、なぜこうなった(書いた)のかという理由は、僕はあまり問わない方なんですが、石巻に在日の方が多いこと、差別的・排他的なことがあったと聞いたので、何となくそれが残っていたこと。海外から来た手紙が届かずに戻っていたという別のトピックスの事実があって、それを自分の中で思いとして入れたかった。

父と子の関係においては秋山とジョージさんの関係もあるので、それを全部彼に託した。つまり、物語を動かせるメッセンジャーボーイと物語のきっかけの所を彼に託したいというのが多分秋山にあったと思うんです。だから、それが別に日本人の五島列島の人間でも良いんですよ。でも、彼(秋山さん)のアイデンティティの中にあったのかもしれないなということと、石巻に多かったということでしょうか。

「これが決して日本国内おいてだけのことにしない」ということも言っていました。もちろん、ドイツ人・フランス人でもよかったんですけれど、でも作家である自分の出てくる物からすると、自分のルーツ・在日ということを演(や)るんだったら韓国人が良かったのかもしれませんね。たぶん、そうだと思います。

実際、イ・ジョンヒョン(韓国人役)は偶然5歳まで大阪に住んでいたし、その直後に阪神・淡路大震災があって、その思いがあって「僕、演りたい」と。不思議な縁です。

--リアルにあったできごとがベースにあって、また5年後くらいという設定もリアルにあることですが、ドキュメンタリー映画でなくてドラマになったのは元もとのプランだったのでしょうか

榊監督:(震災の)ドキュメンタリー作品は、いっぱいあったじゃないですか。そこに、僕が持っているドキュメンタリーの切り口なんてちっぽけだと思ったのが1つ。もちろんその前に、秋山が映画にしたかったという2つが大きい理由です。

僕自身がドキュメンタリーにすごく慣れ親しんでいるわけではないんです。正直、映像作家・監督業をやっているくせにどこまで観たかというと、恥ずかしながらという程度です。僕自身がドキュメンタリーがどうのこうのではなくて、突き動かすものがないと・持った人間じゃないと撮っちゃいけないとどこか勝手に思っていたし、自分はフィクションの中で物語を作ることによって、その中に真理を得られれば良いかなと思っていたので、ご指摘のようにドキュメンタリーということに行かなかったです。

あとは、ドキュメンタリーだと、僕自身がつらいです。被写体・場所で何かを迎えるときにフィルターがないと怖かったこともあるし、みなさんと話しながらも取材としては話せるんですけれど、「そこにカメラを向けるオマエは何様やねん」と思っちゃうところがあって。ナンか嫌じゃないですか、ずけずけとカメラを持ってきて。「それだからやるんだ」と言う人もいると思うんですけれども、そこは多分まだ自分の中では準備ができていなかったんでしょう。

 

©2018年「生きる街」製作委員会

 

――榊さんは俳優でもあるのですが、監督をなさる時に演じ手の立場になったりするのでしょうか?

榊監督:僕は、演じて見せることは一切ないですね。まずは「こういうことでこうやりたいんだけど」ということを伝えて、後は先輩方が肉体として使っているものにどうジャッジをして付け加えるかだと思うので、やっぱり自分で演じて「こうやってみて」というのは、ほぼないですね。多分やってないですね。

つまり、夏木さんが「出たものが真実だ」と思えばOKだし、もうちょっと違うなと思ったらもう1つ撮りたいですし。関係性を、「なぜこれが僕のOKでないんだろう」と言うと第三者=そこに相手が居る芝居の投げかけとかベクトル(方向性)が違うんだなと思うと、全体的に修正しないといけない。

この感覚は、ライヴなんですよね。生で起こっていることなんです。つまり、画(え)で撮るんですけれど。台本を見て準備して「こういう風に演りたい。お茶を飲みたいんだけど」「お茶じゃないよね」でも、それはいつ気がつくかというと、瞬間に気づくんです。「じゃ、これお茶なしにして」「なくてできるかな?」「でも私は飲んで演らないとできない」と言った場合に、それをどうなくても良いようにするのか?と、例えば夏木さんだったら話をする。

当然、みなさん表現をする時に考えている。それが刻一と7変わるので、その中から掬い取ったものが、今回は「生きる街」になったという感じです。僕自身は常に台本は信じていますけれど.ある意味信じていない。もちろん準備はするし、合わせもする。でも、役者さんがふぁーっと言った瞬間にそれが真理だと思えば、それを撮る。

僕は、ジョン・カサヴェテス(アメリカの映画監督・俳優)が好きで、「そうか、自分の家で撮るんだ」みたいな。彼はジーナ・ーランズ(同女優)のダンナなんですけれど、自主映画なんですが被写体(役者)に対する距離の持ち方を、カサヴェテスさんの本を読んで学びました。

同時期=まだ若かりし頃には書物を持って、知識欲を埋めたい時期があるじゃないですか。それを今、ようやく実践し始めているという感じですかね。だから、本の言う通りもあれば、言う通りじゃない。「そうだよね、自分で自分を作るんだよね、ルーティン(ある決まった仕事・作業)は。自分の物語は自分が紡いで築かないといけないから、最早人様のことで影響はないですね。

映画の中に朝食を食べるシーンがあるんですけれど、あれは確実に現場で作ったものです。台本では「朝食を食べる」3~4行だけなので、現場は30分か1時間で終わると思ったんでしょう。でも、4時間かかったんですよ。あのための映画だったんです。

久しぶりに家族が揃った。だけど、あなたがいない、寂しい。でも人生は続く、という映画にしたかったんです。だから、台本上のラストをバッサリ切りました。。このラストの後に数シーンあったんですが、「もう良い」と。撮りながらカメラマン(早坂伸さん)に「ここで終わるような気がするんだけど」と言ったら「僕も、今そう思って撮っています」と言って台本上撮るけど。恐らくそうなると思っていたらそうなりました。

宮沢:映画の解説の中に「人々は、街は未来を信じて生きている」と書いてありましたが、それを見事に表したラストシーンでした。

榊監督:故郷の生きる街もあれば、それぞれの生きる街もある。後は、街自体が生きないとダメなんですよ。それは多分、人が少なくなっていく事実もあれば住みづらくなってきたこともある。その意味でも、何かのエールを「生きる街」に込めました。

【取材=宮沢さかえ】

■ 映画「生きる街」公式ウェブサイト

3月3日より新宿武蔵野館・ユーロスペース・イオンシネマ石巻他、全国順次ロードショー
監督:榊英雄/2018年/124分