ウェブマガジン・のたる
ドキュメンタリー映画「OKINAWA1965」完成披露イベント
Categories: イベント

米軍統治下の沖縄で起こった「祖国復帰運動」。そこから今に繋がる基地問題を画いた「OKINAWA1965」の完成披露イベントが、2月4日渋谷・アップリンクでありました。上映後の関係者あいさつを、ほぼそのまま掲載します(発言順)司会は、オノユリさん。

この映画を作ったきっかけ・思いや声の出演者の映画に寄せる想いが良く表れています。【取材=宮沢さかえ】

 

 

都鳥拓也さん:カメラマン・本映画では撮影と編集

撮影は6日間と10日間の合宿でやりました。その中でいつもバタバタでギッチリのスケジュールで、勢いで駆け抜けるという印象でした。1時間のテープが56本くらいとかなりの量を撮影したんですが、それをいかに95分の映画にまとめるかに、苦労しました。

まず、(今まで)あまり映画になっていない米軍の統治下時代をいかに伝えていくかということとそれが今にどう繋がっているのかをどう見せていくかに苦労しました。たまたま(2017年)3月25日に3500人の集会があるという情報を得て撮影に行った日に、「ああもうクランクアップだな」と感じたんです。

それで宿に戻って、助監督(藤崎仁志さん)と僕・(都鳥伸也)監督の3人で「さてどう編集しようか」と相談した時に、「この集会を最初と終わりに持ってきて歴史をサンドイッチしたらわかりやすいんじゃないか」ということになって、それから映画の方向性が見えてきてこの形(完成形)になりました。

たくさんの人にインタビューをして、ここに紹介しきれないくらいでカットした人がいて、本当に申し訳ないことです。その中で作り出した95分です。みなさまの心にどう残るか、持ち帰っていろんな話し合いの材料にしていただけたらなと思っています。

 

都鳥伸也さん:監督

僕たちがなぜ沖縄に興味を持ったのか、岩手の人間がなぜ沖縄に興味を持ったのか?と気になっている方がいるかと思いますが、僕らが映画に興味を持ったのは、ウルトラマンだったんです。特撮にすごく興味を持ち、トリック撮影が好きで「こういう仕事をやってみたいな」と思ったのが映画に入りった始まりです。

ウルトラマンは、金城哲夫さんと上原正三さんの2人の沖縄出身の脚本家が作ったんです。そういうことを勉強していくと、当時=1966年がウルトラマン放送開始なんですが、ということは彼らは米軍統治下の沖縄から出て脚本家になったわけです。沖縄戦を含めていろいろな背景を背負って映している。そういうことを知るわけです。

そんな中で僕らの中でも沖縄の問題、特に米軍統治下のことが記憶に残っていました。戦後70年=今から3年前に、改憲や基地の問題が議論されている中で、自分の中で「何が本当なんだろう」とわからなくなってきて、ちょっと沖縄に行ってみたいなぁという気持ちになっているところで偶然、(少女轢殺の)写真を撮影したということとは関係なく嬉野京子さんと出会いました。

嬉野さんの話を聞いて非常に驚いて、一緒に映画を撮ったらおもしろいんじゃないか、自分たちが気になっていることをわかってくれるんじゃないか?ということで映画を作りました。

この映画が答えになるという形ではないのですが、1つの考え・議論のきっかけになってくれれば良いなと思って作っています。ぜひ観終わった後にみなさんと語り合って、これからの未来を考えていただければと思っています。

今日が完成披露イベントで、今日から上映が本格的にスタートします。ぜひみなさまに、全国に広めて行っていただけたらと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 

小林タカ鹿さん:俳優・本映画ではナレーター

僕はこの映画に関わらせてもらって、沖縄についても基地の問題についてもそうですし、知らないことがたくさんありました。で、まだまだ僕個人も知らないことがたくさんあると思うんです。勉強不足のこともいっぱいあります。ただ、これに政治的な意見とか大きな問題に対する答えを出そうとする時に、必ずその裏側に個人個人の体験とかドラマがあるんだということを知ると、ちょっと留保するというか決めつけてしまう前に、1度立ち止まって考えてみようと思うんですね。

本当にそれで良いんだろうか?ということを、相手のドラマとか体験に身を寄せて想像することができるようになる気がして。そういうところに、この映画の意義があるんじゃないかなと感じました。

今もネットでも情報が溢れているじゃないですか。そうすると余計にいろんな意見が出てきますが、その裏側にもドラマが1つひとつあると思うんです。だから、一歩立ち止まって考えて、決めつけないようにしながら話し合って行くことが大事なんじゃないかということを、映画に関わらせてもらって感じた次第です。たくさんの人に観てもらって、考えるきっかけになったら頼もしいかと思います。

 

 

太田いず帆さん:俳優・本映画では朗読(嬉野京子さんの文)

私は岩手県出身で、今東京で女優の活動をしています。都鳥監督と出会ったのは、去年の東日本大震災の記録をドラマ化して映像に残そうという岩手復興ドラマの企画でした。その企画が終わってから、「沖縄のドキュメンタリー映画の朗読を担当してくれないか」と声をかけていただいて、ものすごく悩みました。

というのも、私は沖縄に行ったことがなくて、そんな人間がまずこういう作品に関わって良いのかというところで悩んで。あと、嬉野さんのことも資料をいただいていろいろ調べて、例えば銀行で立て凍り犯が来て、その時に「携帯電話持っていません」と言いながらスッと出して写真を撮って、今の時代だとFacebookなどにアップする勇気が自分にあるのか?と思った時に、「どうしようかな」とすごく不安でした。

声を入れる当日、嬉野さんと電話で4~50分くらい話をさせていただいて、いろんなことを聞いて「なんか大丈夫だ」と思って、実際録音した時には私が嬉野さんだったのかなと思うくらいでした。24歳であの行動(命がけの写真撮影)ができるのというのは、同じ女性としてすごくカッコいいなと。ホントにあこがれます。

(嬉野さん「初めて映画を観た感想を」)すごい女性・すごい勇気を持った方だなと思いました。監督、もし実写映画化がありましたら、私を嬉野京子さん役に。ショートカットで頑張ります。

 

悠雲さん:声優

今回の映画で、私はアレン・ネルソンさんの朗読を担当させていただきました。この役をいただくにあたって、恰幅の良いい人が日本語で話をすると、黒人だけど日本語を話すんだったらこんな感じになるんじゃないかなというような期待もちょっとあったということで、私としてはありがたく快く受けさせていただいた次第です。

今回この役をやるにあたって、嬉野さんがやはり収録の当日に、初めて電話をしました。喫茶店で都鳥さんが電話をしてくれて、飲み始めたなと思ったところで「今、嬉野さんと繋がったから」ということで40分くらい。

アレンさんが嬉野さんのお宅に、居候・そこにずっとお世話になっていた時の話を事細かに話をしていただきました。そんな嬉野さんのエネルギッシュなエピソードを聞かされて、非常に感服した思いです。アレンさんに関するエピソードをまとめた本なども、本日いただき感謝の至りです。

 

嬉野京子さん:報道写真家・祖国復帰運動の中で米軍の車に轢殺された少女を撮影

主人公(司会の紹介)というよりも、みなさんに1番迷惑をかけてみなさんのお力でこういう立派な映画を作っていただいて、本当にありがとうございます。私自身、沖縄に通い始めて52・3年になるのかな。本当に沖縄のいろんな人に助けられて。ずっと仕事をしてきたんです。沖縄だけではなくて、日本国中のみなさんにこうやって集まっていただいて、沖縄のことを一緒に考えていただけるということで、感謝します。

 

    

■ ドキュメンタリー映画「OKINAWA1965」公式ウェブサイト
■ 今後の上映予定
3月9日=東京都清瀬市
4月7日=文京区
6月16日=静岡県焼津市