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監督インタビュー:「医(いや)す者として」鈴木正義さん(後編)

 

――フィルムがかなり古いものなので、保存状態などの点で苦労はあったでしょうか?

鈴木正義監督

鈴木正義監督
1953年生 シネクライム代表
現在はグループ現代でTV番組プロデュー
サーとして活動
写真撮影=宮沢さかえ

 鈴木監督:『テレビ技術』という雑誌に書いたんですが、佐久病院に保存されていた16ミリフィルムとビデオとは、全然違うんですね。16ミリフィルムは1秒間に24コマ、ビデオは1秒間に30フレームです。また映像の見え方も、16ミリフィルムは画面の奥側に見えるし、ビデオは手前に見える。だから、ビデオの方をフィルムっぽい設定にして、2つの間でギャップができないようにしました。

  現代が求めているものを、歴史から引っ張ってくる という感じです。昔の出張診療と今の在宅医療。今の問題点を解決するために歴史の中からどれを抽出してくるか? あくまで“今”を考えるということです。 

――監督の考える若月氏の最も魅力的な部分はどこでしょうか?

鈴木:彼は、政治性を持った重層的な人なんですね。彼の生きている間に、病院の中庭に銅像が建ってしまったりしている。地域との関係を一番に考えている人だから、自分がそういう(銅像が建てられる)人間だということも、よくわかっている。健診的な側面―じいちゃん・ばあちゃんのところに診療へ行くという面と、上昇志向―エリート中のエリートですから―両方の部分がある人だと思います。

――鈴木監督は、きっかけがあって映画の世界に入って、今も映画の世界で働いていらっしゃいます。映画の世界のどこに最も惹かれたのでしょうか?

佐久病院映画部

スチール・佐久病院映画部
グループ現代提供

 鈴木:自分は映画少年ではなかったです。学校は留年しようと思っていたのですが、卒業してしまって。日本映画学校に行こうとしたのですが、学費が高くて別の学校に行きました。

 その後、『放送批評』という雑誌で2年半くらい原稿取りをやりました。そうすると、(撮影の)現場へ行く機会が多かったんです。その現場にいるディレクターたちが、とてもカッコよかった。20代後半くらいに、「グループ現代」に入社したんですが、その前に「民族文化映像研究所」っていうところで、アイヌの方たちが生活する地域を巡業上映して廻るっていうことをやったんですね。そうしたら、あるアイヌの盲目のおばあちゃんが、上映が終わった後に映写機に向かって、神に祈るしぐさをしたんです。それが(映画に関わる)大きなきっかけとなりました。見えない人にも伝わるんだということがわかって映画の力を感じました。

  映像を介してこれまでいろんな人と出逢えたことが自分にとって大きなことですが、映画を撮り終ったときはいつも「だめだ、まだまだだ」と思ってしまいます。

 ――「医す者として」で好きなシーンと、苦労したシーンを教えてください。

 鈴木:地域の人が登場するシーンでは、「ああ、何食わしてもらったな」とか僕の奥に(カットしたシーンなど)まだいっぱいあるじゃないですか。映画に入れなかったたくさんのシーンがあるので、「オレだけが知っているぜ」っていう気持ちがあります。

  苦労というより納得いかなかった点としては、「もっとこういうふうに撮れたかな、もうワンカット撮れたかな、というのはありますね。これで良しとは思わない。いつも不十分。だめだな、まだまだ」という思いは、いつもあります。

佐久病院演劇

スチール・佐久病院の演劇
グループ現代提供

  ちょっと脱線しますが、映画つくりで大切なのは、自分で体験すること・自分で足を運ぶこと・自分の目で確認すること。そして、その経験を、一度引き離して(俯瞰して)遠くからみることだと思っています。

  ディレクターをやる前に、上映会をやってるんですね。上映会は赤字にしたことがなくて、これはひそかに自慢なんです。(まわりで、おー!という賞賛の声)

  記録映画作家の土本典昭(つちもと・のりあき)さんという方が、ご自分の本の中で、「つくることは、巡回上映で完結する」という主旨のことをおっしゃってるんですね。それで、巡回上映で感じることや出会うこともあるかも と思い自分もやってみたんです。

 アイヌの村々で上映会をした時には、同じアイヌでも、日高のアイヌと釧路や網走のアイヌでは自然環境も生活の仕方も全然違うんですね。見ると聞くとでは大違い ということがあtって、とにかく自分で行こう・見て確認しよう という気持ちになりました。でも、経験するだけだと対照(比較が)できないので、経験を一度引き離して(俯瞰して)遠くからみる、ということも必要だと思います。

――長野県は“健康度”の高い県で知られます。それは、食生活に起因するところもある一方、若月氏の尽力も貢献しているのではないでしょうか。

(ここでプロデューサーの小泉修吉氏登場)

小泉修吉プロデューサーと鈴木正義監督

小泉修吉プロデューサー(左)
1933年生まれ グループ現代 創設者(現会長)
農業・環境・教育をテーマに監督・プロデューサーとして多くの自主作品をてがけ、数々の賞を受賞

 小泉プロデューサー:佐久病院では、病院祭っていうかいこ(蚕)の祭りがあるんですね。病院を解放して2日間開かれ、毎年2万人が集まります。若月氏の教えとして「健康は自分たちで守れ・健康は与えられるものではなく、獲得するもの・病気は医者が治すのではない」というものがあります。いわゆる「佐久モデル」といって、自分の力で健康を守るということなんですね。昭和34(1959)年―今から52年前に、健康診断や健康手帳などを考えたのです。

  そういうことを続けていくと、医療費が落ちてきた。それで、当初実行していた八千穂村だけでなく、長野全県でやろう、ということになりました。それで実施すると、長野県全体の(健康の)指標が上がってきたんです。厚生省(現厚生労働省)もそういうことはわかっていて、日本の大きな力だと考えています。

  また、長野県民にはインテリが多いんですね。文化度が高いんです。1970年にコンピュータが普及したことで、全県に広がりました。長野県が全国的に見ても健康県になったことへの若月さんが果たした役割は大きいと思います。 

 ――鈴木監督は、今後どのような映画を創っていきたいでしょうか。また、映画人としての理想の姿は?

 鈴木:(理想は)小泉さんです。映画というのは(創った人が見えない)匿名性があるものだと思っています。作品が一人歩きするような作品を創りたいと思っています。内側から出てくるもの―内発的なものを、多くの人と共有したいと考えています。【2011年11月15日グループ現代現代事務所にて・聞き手=井出留美(office3.11)・写真撮影=宮沢さかえ】

■ 監督インタビュー:「医(いや)す者として」鈴木正義さん(前編)
                          

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医す者としてチラシ裏

「医す者として」チラシ裏グループ現代提供

映画「医す者として」

制作: 若月健一/ 小泉修吉  

監督: 鈴木正義

語り: 山崎樹範

助成:文化芸術振興費補助金

協力 :佐久総合病院/長野県厚生農業協同組合連合会/公益財団法人トヨタ財団

企画制作:グループ現代

108分